容易くは恩

腹立ち、や 期待はずれ などを 粒立てず優雅にいきたいものだ。  小馬鹿にしていた小道具の反逆、 飼い犬に腹を蹴られたら。 賢い犬は買い主を蹴らない。 合掌。 喧嘩は江戸の風流などとひとは申すが 実際は、卑近でいじましい、醜いけちの付き合いです 花火だって燃え殻は誰かが片付ける役を負うわけで その方々の顔が醜いわけではあるまいし   自惚れた奴らの顔面に泥を塗ってやりたいが 塗られたあとは 相変わらずのうのうと醜いままに生活してくれてりゃいいってもんで反省なんかすんな。 私は自分を、己が顔貌を、美しいと認証する日もある。 皆死んでしまえ、と思うのはこんな時だ。 皆死んでしまえ。 私は美しい。 だから皆様が朽ち果てればよい。 嘯いてもおのがすがたを苦しくはならない。どんな場面にも、 だが 温く生きてると評されたことには腹が立った。 図星だからか。 私は一つのケースとして生きてる。 スケールは観心の采配により変えてゆける。 憎い人間なんかなくしたい。 だがあいつを蹴り上げたい。 金的狙ってエーイだい。 真っ赤な顔して憤死してほしい。 これは恋ではない、断じて。 死ぬのが好きなやつなんている?